それは、自分達以外の人にはささやかすぎる幸福論。

 

 花が咲く瞬間のように。

 

 3番ポートに降り立つや否や、愛らしい顔に見るからに『反省しています』と大きく描いた稀代の大召喚士様が恥ずかしいくらいの全力疾走を多くの人々へお披露目しながら、目的の地へとひた走る。
 ここまで来てしまえばすぐそこだとわかっているのに、気持ち以上に働かない己の足に恨み言。
 もっと早く。
 もっともっと走って。
 そう願えば願うほど、どうしてこうも遅く感じられるのかが不思議で仕方がないけれど、そんな自分勝手な己の脳裏にチラリと浮かぶのは姉の顔。

 『いい加減にしないと、初戦開始に遅れるわよ?』

 そう、何度も言われたのに、その都度『もう一本後の連絡船でも間に合うっすよ?』だなんて笑っちゃってた過去が恨めしいことこの上ない。

 いよいよ夏本番。
 愛しい人はシーズン開幕に向けて早々にルカへ入ったけれど、共に現地へ行ったところで何もするべきこともない自分は、ただ彼の傍でブラブラしているよりも、ギリギリまでビサイドで働くことに決めた事は良かったと思う。
 寺院でのお手伝いや、イナミの世話をさせてもらうこと。
 小さな子供に字を教えてみたり、最近、少々落ちている感が否めない筋力を取り戻すべくコッソリとトレーニングしてみたり。

 ティーダが出発したすぐの頃は、そんな風に日々を送り、充実感もあり、それなりに楽しく生活していたものの、いざ『もうすぐルカへ行きますよ』の段階になったら、予定している日の連絡船を待つ間が酷く長く感じられてしまい、気持ちの隙間を埋めるために掃除を始めたのが運のつき。
 この際だから、と普段はしないような場所ばかり選んで手を動かしていたら、予想以上に熱中してしまうという事態に陥り、気持ち余裕を見て乗るつもりだった連絡船をあっけなく見送って、そして今の全力疾走に至る訳だ。

 シーズン開幕のこの日、本来ならば初戦に向かう恋人へ『がんばってね』の言葉を添えて笑顔で見送るはずだった。
 間違ったことは言わない姉の言う事を、素直に聞いておくべきだったと船の中で反省しきり。
 一本遅らせたところで、あの連絡船に乗れば十分初戦に間に合うはずだったけれど、船旅は気候に左右されるということをすっかり失念してしまっていたのだ。

 「ううう〜!!もう、プールに移動しちゃって・・・っあ!!」

 猛烈な勢いでスタジアムの受付前を横切って、一息に階段を駆け上がると会場へ向かう選手の一団の中にチラリと見えた黄金(きん)の髪へ思わず叫ぶ。
 万事休すも時すでに遅く、10メートル先で笑う最愛の人はサポーターと選手の波の中に見え隠れするだけで、声をかけようにも届かずにどんどん遠ざかってしまう。

 「・・・が、がんばってねぇっ」

 肉眼で10日ぶりに見つめる事が出来た恋人の耳に、こんな情けなさ満点の応援が聞こえなくて良かったと肩を落としたユウナは、とりあえずオーラカの控え室を訪れるべくクルリと踵を返したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 「ルーから連絡は着てたけどよ、タッチの差だったなあ」

 すっかり脱力して尋ねた控え室には、それこそあと1分遅かったら今日の試合が終了するまでこの人にも逢えなかったであろうワッカが小さく肩を竦めてみせた。

 「・・・今そこで見えたっす・・・」

 「待ってたけどな、アイツ。まあ、試合が終わればゆっくり出来るからな」

 全力疾走の置き土産であるユウナのぐちゃぐちゃの髪をワッカは苦笑いしながら優しく撫でると、『行ってくるわ』と一言残し控え室を後にした。

 「・・・ふう」

 ここへ来て初めてゆっくりと息を吸い、そして吐く。
 遠く聞こえるのはトーナメント開催を謳うアナウンスと音楽、そして大歓声。
 きっと慌ただしく出て行ったのだろう、オーラカの控え室の中は雑然としていて、ベンチの上には脱ぎっぱなしにされた白いTシャツと練習用のブリッツボールが転がっていた。
 選手も監督も出て行って、そう、あと20分もすれば夏の太陽よりも熱いブリッツボールのシーズンが開幕し、大好きな大好きな彼が目を開けていられないくらいに眩しく輝くのだ。

 この日々の為に、一年間練習をして。

 この日々が終わるとまた、一年が始まって。

 臨んでいる間は長く感じられる一月も、終わってしまえば蜃気楼のように儚くて。

 「今年も、始まったっすねぇ」

 開会の式典は、この際だからお休みしてしまおう。
 スタジアムへは試合が始まってから向かえばいい。
 本当は、ここで彼を見送るはずだったから、彼にもそう言っておいたから、だから間に合わなかったことが申し訳なくて、すぐに立ち上がる気にもなれないのが本音の部分。

 『待ってたけどな』

 先刻の兄の声がリフレインして、ギリギリまでここに居ると粘っていたに違いない愛しい人の姿が目に浮かんで小さく笑う。

 

 

 

 もう、遅刻はしません。

 

 

 連絡船だって大人しく待って、ちゃんと、予定通りに出発します。

 

 

 待たせちゃってごめんね?

 

 

 怪我しないでね?

 

 

 今シーズンもがんばってね?

 

 

 見てるよ。

 

 

 見ていさせてね?

 

 

 

 伝えたかった言葉も、胸の中でひっそり紡ぐ想いも全部全部ひっくるめて、今スタジアムで開会式に出席しているであろう恋人に捧げる。

 こんなささやかな事が、酷く幸せで。

 こんな小さな事が、とても大切で。

 世界は、色に溢れ幸福に満ちていて、たったそれだけの事が思い出の欠片になる。

 『あの時、キミに逢えないと思ってものすっごく走ったの』

 きっと、思い出して笑う日だってそう遠くない。

 バタバタバタバタ。

 そうそう、もう一生懸命バタバタ言わせて走ったのに、結局逢えたのは黄金の髪と笑う横顔。
 ああ、もう、今日の試合が早く終わってくれたらいいのに・・・。

 「まだ始まってもいないのに、不謹し・・・」

 「ユウナぁぁぁ!!」

 バァン、と凄まじい音を立ててドアを蹴破らんばかりの勢いで飛び込んできたのは、今の今まで懸想していた愛しい人そのもので、

 「ティ・・・っティーダ?!」

 驚愕のあまり名を紡いだだけで絶句してしまったユウナを、文字通り『血相を変えた』様子のティーダが力一杯抱きしめた。

 「えっ、えと、かっ開会式はっ?!」

 「抜けてきた!ワッカが控え室にユウナ居るって言うから!でも時間ないからもう行くッス!!」

 「えええええっ・・・・っん!?」

 

 

 

 

 一瞬。

 

 ほんの一瞬だけ触れた唇に目眩がして。

 

 悪戯っぽく笑って『行ってきまっす!』と出て行く背中に、『がんばってね!』と言うのが精一杯。

 

 

 

 

 「・・・試合・・・間に合った、よね?」

 ドキドキしっぱなしの胸を押さえベンチにへたり込んだユウナは、やがて聞こえてきた大歓声に中空へ視線を泳がせながら呟くと、『ユウナとキスしないとやる気が出ない』と平然と言ってのける恋人を思い出して小さく苦笑。

 こんな、ささやかなこと。

 こんな、小さなこと。

 それは、明け方に開く小さな花のようにひっそりと。

 他人から見ればささやかすぎる一瞬すらも、至上の喜びなのだと知る素晴らしい日々。

fin

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