一目ぼれって、一度だけだと思うんだ。

キミは、どう?

 

うそつきな恋人

 

少しだけ遅めの昼食の後片付けの手を休めることもせず、ユウナがそんな事を呟いた。

テーブルの上、まだ運びきらない皿を手に不思議顔の恋人が、こちらの次の発言に首を傾げる。
台所で運ばれてくる皿を洗う彼女の手は洗剤の泡だらけ。
彼から優しく手渡された皿に「変なコトを聞いたね」などと前置きをして。

「ほら、一目惚れなんていうでしょう?それってどういう状況なのか、まったくわからなかったの」

一つ一つ丁寧に洗われていく食器たち。

「ユウナはどういう状況か知ってるッスか?」

洗い終わる傍からその水気を拭うべくぴたりと隣に居座る彼からの質問。

「わたしっ?!え、えと、う、それは・・・っその・・・っ。そうだったのかな、とも、思う、よ?」

事実、それだけ言うのが精一杯。

皿を洗い終わる傍から受け取って綺麗にしてしまう恋人の手元に、寸分の狂いはない。

「そうだったのかなって、いつ思った?」

言葉尻こそ優しげだが、この恋人はそう聞けばこう困る、ということをわかっていてわざと聞いてくるのだから始末に終えないのだ。

「もうっ、笑いすぎ!」

抗議の言の葉は彼へ届く前に立ち消えて。

「ごめんごめん」

「ごめんごめんじゃないっす!・・・キミ、笑いながら言っても効果ないって知ってる?」

洗剤で泡だらけの右手を振り上げても、目の前で幸せそうに笑う彼には到底適わない。

大袈裟にふくれて見せても、彼曰く「可愛い」の他ならず、致し方なく「許す」と言ってしまえばそもそもの論点がずれている事に気がついて慌てるだけだ。

「じゃなくって!「一目惚れ」の話です!!」

後から思えば、そこで終わらせておけば良かった話。

「オレはユウナに一目惚れしたけど?」

そう、サラリと言われてしまえばもう黙るしかなくて。

「そ、そこでさらっと、そういうこと言わないで欲しいっす・・・」

自分でも驚くほど消え入りそうな声だった。
話の発端は己にあるのだとしても、こうも余裕有り余りな態度で臨まれてしまうと、どうしたものかと途方にくれてしまうのだ。
事実、ビサイドの寺院で初めて見た彼は、薄明かりの中でもまぶしいくらいに輝いており、それが恋心に発展してしまうなどと、己が身以外で誰が想像し得ただろうか。

「本当の一目惚れなんて、一度きりかもしれないけどね」

過去にも現在にも、彼以外在り得ない。

「そうかなあ、何度でもあるかもしれないッスよ?」

しれっと言い返されて、皿を洗う手が止まる。

クスクスと笑うその仕種にも、動作に揺れる黄金の髪にも、思った以上に器用に動く長い指にも、彼の存在すべてにときめく自分が此処に在るというのに、「一目惚れは一度説」という彼女の持論はほんの少しばかりの信憑性もないというのだろうか。

「・・・おかしいのかなぁ、わたし」

言えば、また笑われてしまうかもしれないけれど。

「おかしくはないッスよ、ただ、可愛いなぁってだけで」

その言葉の先を優しく促すのは意地悪な恋人で。

「いや。言ったらまた笑われるもん」

魅惑的な青の瞳につい、負けてしまいそうになったから、強がりとわかっていながらわざとそう言った。

「笑わない笑わない!約束する」

「・・・本当?」

「本当」

「・・・絶対?」

「絶対」

きっとすぐに破られてしまうはずの約束をいともアッサリしてのける青の瞳はこの上もなく楽しそう。
そして、「すぐに破られてしまう」とわかっていても尚、こうして問答するのは、お互いに「時間が許されている」という証に他ならず、きっとそれが幸せだから繰り返してしまうのだ。

「え・・・っと、あのね?例えばキミがお風呂上りに、髪をこう、わしゃわしゃ!って拭いているところとかね?海から上がってきて、こう、ふぅー!って大きなため息ついてるところとかね?あ、あと、あと、髪を掻き揚げるときの手、とか・・・なんだかもう、ちょっとした仕種を見た時にいつも思うの。あー、わたし、この人のこと好きだなぁって・・・」

言い出すまではあんなに躊躇っていたくせに、いざ言葉が口をついて出てしまえばこの体たらく。
本当は、もっと、もっと、たくさんある。
彼が呆れ返るほど、もしかしたら「もう降参」と白旗が挙がるまで。

だから、聞いてみたかったのだ。「一目惚れした相手に、何度も同じように一目惚れってするのだろうか」と。

「いや、それはもう、うん、ありがとう」

それは、感動で、というよりも寧ろ何かを必死に耐えているような声。

「・・・笑わないって、約束したのに」

間髪置かずに指摘すれば、まるでそれがGOサインであるかのように、目の前の恋人が盛大に笑う。

「・・・いいもん。わたしだけわかっていればいいんだもん」

すっかり止まってしまっていた片づけの手をわざと忙しそうに動かした。
隣に立つ恋人はといえば、笑うのを止めたいのか、続行したいのか、「悶絶している」という表現が一番良く当てはまるような格好だ。

「ユ、ユウナ、ユウナっ」

息も絶え絶えの彼に名前で呼ばれる事。

実はこんな瞬間ですら「幸せだな」と思っているなんて事は絶対に内緒だ。だから返事は不機嫌な声でぶっきらぼうに「・・・なあに?」と一言。

「あのさ、今すぐになんだけど」

「・・・?」

「ユウナからキスして?」

「・・・っ?!い、いま?!」

「うん、今」

「あ、後でだったらっ」

「ダメー」

少しも反省してくれない嘘つきな彼の唐突なお願いにも、結局は不覚にもときめいて、乞われるままにしてしまう。

ぎこちなくもたらされた口付けの後に、「何度でも一目惚れしてもらえるようにがんばるッス」と耳元で囁かれた。

がんばってもらわなくてもいいのだ。
これ以上は身が持たないと正直に答えたら、また笑われてしまったのだけれど。

fin

2007.7.17up

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