それだけ言うのが精一杯で。
精一杯の嘘
かれこれ1時間。
おしゃべりな恋人が黙々とトレーニングを続けている。
笑い上戸で、いつもリュックとふざけあっては大笑いしている彼だけれど、毎日欠かさずこうしてトレーニングの時間を設けていることに、『ああ、やっぱりプロの選手なんだな』などと改めて思う自分がいて、ユウナは誰にも気がつかれない様にひっそりと笑った。
朝起きて、シャワーを浴びて、朝食をとる。
共同の居住区で少しだけリュック達と会話して、チョコボに頬擦り。
大きな伸びを一つしてから、セルシウスで一番大きな部屋へ移動する。
午前中のティーダはそんな感じ。
そして、そんな恋人の後にくっついて、ただ黙って見守る自分の午前中も、そんな感じ。
『実の兄を差し置いて、奴の方がよっぽど兄貴らしい』とパインに言わしめたほど仲が良いリュックでさえも、ティーダのトレーニングの時間は邪魔をしない。
一番大きな部屋といっても飛空艇の中、限られたスペースでこなされる練習メニューは決まりきったものしか出来ないながらも、自分の決めたメニューを地道にこなしていく姿が眩しくて、不謹慎極まりないかもしれないけれど、そんな彼をかっこいいなと思ったりもする。
『恋は盲目』
どこかでそんなことを聞いた覚えがあるけれど、今の自分のこの状態はまさに『それ』ではないか?
眠る顔も、笑う顔も、怒ってる顔も、ただ黙ってトレーニングに汗を流す真剣な顔も
顔だけじゃない、頭の先からつま先まで、ティーダのすべてが愛しいと全身が訴える今の現状に、少しだけ困る時すらある。
世界は、彼だけで廻り、彼だけしかいらない。
自分しか開けることの出来ない宝箱の中に閉じ込めて、そっと抱いていたいとさえ思うのに。
20分前に開始された腕立て伏せは、258回まで数えてわからなくなった。
『辛そう』というよりも、むしろ楽しんでいるような空気に思わず口元が緩む。
『ちゃんとね、コレだけはやっておかないとマジで身体鈍るから』
汗を滴らせて笑顔でそう言うティーダを見て、本当にスピラは平和になったのだと実感できて嬉しい。
もう、バトルに身を投じる時代ではないのだ、と。
こうして各々の仕事を、何に邪魔されることなくこなしていけばいいだけの世界になったのだと。
「ユ、ウ、ナ?」
「は、はいっ?!」
ユウナから見れば『もの凄い勢いで繰り返す』腕立て伏せを休むことなくティーダが突然声をかけ、そこから2メートル離れた場所からその様子をただ黙って見つめ続けていた恋人が驚いて飛び上がった。
「あ、の、さ?」
「う、うん?!」
もしかして、邪魔をしていただろうかという一抹の不安を覚え、ユウナは思わず居住まいを正す。
「おもしろく、ないだろ?しゃべる、わけでも、ない、し」
繰り返される一連の動作は相変わらず力強くて、ユウナは『やっぱりかっこいいな』などと心の中で呟きながら慌てて首を横に振って見せた。
「じゃ、邪魔、してる?」
もしも邪魔をしていたなら、それこそ申し訳なさでどうにかなってしまいそうだと思いながら恐る恐る尋ねたユウナへ、途方もない回数を口にしたティーダがようやく起き上がり小さく笑った。
「まさか。ユウナが傍に居てくれたほうがいいかな」
「ほんと?」
「ホント、ホント。見張りがいてくれた方がいいッスねぇ。サボれないから」
「み・・・っ!・・・・なんだか、私、鬼コーチみたいっす・・・」
ぺたり、と床に座り込んだまま 頬を薔薇色に染めて思わずそうこぼしたユウナの姿が可愛くて、彼女に関しては本当に弱い自分が暴れだしそうになるのを感じて、少しだけ自嘲気味に笑ったティーダがいることを最愛の人は知らない。
「鬼コーチかあ。そうかも」
「えええっ?!」
思いがけないティーダの一言に幾分抗議の意味合いを含んだユウナの叫び。
青い瞳はどこまでも楽しげに輝き、ちらりと悪戯っぽい空気も漂わせ、その様子を見てとったユウナが少しだけ拗ねたように『なんで?』と尋ねた。
「もの凄く理性を鍛えてくれてますんで、そこで」
ティーダはくすくすと笑いながらユウナを指差し、トレーニングで熱くなった身体をゆっくりと冷ましにかかる。
『理性を鍛えてる』と言われるような、そんなことは何一つとしてしたことはないと断言できるけれど、きっとそう言って抗議をすれば、目の前の楽しそうな恋人はさらに笑いながら『ユウナがそこに居るだけでスケベなことを考えます』と言い切るに違いないのだ。「・・・もうっ」
それだけ言うのが精一杯。
笑い続けるティーダの全身は汗にまみれ、いつもは元気にあちらこちらへ向いている、ネコっ毛なのにクセ毛の金髪も今だけは大人しく、頬へかかる髪からはポタリポタリと雫が落ちた。
汗で髪が首筋に張り付いて
顎のラインは日増しに男の人のそれへと変貌していて
どこもかしこも『あの時』のティーダと変わらないと思うのに、それでも凄まじい勢いで成長してる
こうして、黙って彼を見つめる。
『理性』を鍛えているのは――――自分?
多分、理性という名の存在が自分の中で立ちはだかってくれていなければ、きっと、絶対に、絶対に、今ここでティーダに向かって手を伸ばしてしまう。
捕まえて
引き寄せて
ティーダの世界を閉じ込めてしまうようなキスを
「な・・・なに考えてるの・・・やだ・・・・もう」
己の思考回路の働きの逞しさに耳まで赤くなったユウナが思わず呟く。
この至近距離では無理だと理解できていても、それでも、愛しい人に見つかりませんようにと願いながら、熱くなった耳を両手で押さえた。こんなこと
あんなこと
太陽だって沈んでいないのに
「ユウナ?顔真っ赤ッスよ?あ、もしかしてエッチなこと考えてただろ」
冗談交じりのその指摘に、さらに心臓の動きが活発になるのがわかる。
いつから?
いつから?
いつからこんな風にあんな風なことを考えるようになっちゃったの?
心の中では様々な思いがグルグルと廻り、心臓は身体の外へ飛び出てしまいそうな感覚にさえ陥って、そして目の前には不思議そうにこちらを覗きこむ綺麗な顔。
「・・・・っか・・・・考えてないもんっ!」
ティーダの青の瞳から逃れる為に慌てて視線を逸らしたけれど、多分、きっと、自分の中の動揺が彼には手に取るようにわかるだろうことも誤魔化しきれない事実であって・・・。
「ふぅん?ま、いいッスけどね。ユウナ嘘つくのヘタ」
するりと耳元へ滑り込んできた囁きに目眩がしたかと錯覚した次の瞬間、汗でひんやりとしたティーダの唇が自分の唇を塞ぎ、差し入れられた熱い舌に精一杯の嘘もろとも絡めとられたその後、先刻まであんなにうるさかった心臓の音も消え失せていて、ユウナはそれが可笑しくて小さく笑った。
朝起きて、シャワーを浴びて、朝食をとる。
共同の居住区で少しだけリュック達と会話して、チョコボに頬擦りをしている恋人の姿に、つい笑顔。
大きな伸びを一つしてから、セルシウスで一番大きな部屋へ移動する彼にくっついて自分も移動。
そんな他愛ない愛すべき日々。
そしてその傍らにあるのは、ささやかすぎる精一杯の嘘と恋人の笑顔。
fin