キミばっかり、余裕みたい。
ケンカ
「あれぇ?ユウナんはぁ?」
いつも、当然の事のように一緒にいるべき存在がいない。
朝食をとるべく共同居住区へと現れた元気印の口から出た第一声を受け、その質問に答えるべく黄金の髪の青年が苦笑まじりに近づいてきて一言。
「ケンカしてる」
「へえっ?!」
予想もしなかったその言葉に絶句し、固まってしまったリュックへティーダは艶然と微笑みかけその場を後にしたのだった。
「・・・・で?ケンカって何?」
リュックは居住区の2階に設置されているベッドにどかりと腰かけ、目の前に立つ少女を見上げる。
『ケンカをしている』という彼の言葉などまったくもって信用していなかったリュックだったが、この半日のユウナの様子を観察するうちに、あの言葉が冗談ではなかったのだと納得せざるをえなかった。
毎日あの2人は、こちらが呆れるほど仲が良く、常に行動を共にしているというのに今日に限ってユウナが彼を避けている。否、『避けている』らしい、と言った方が正しいかもしれない。
ティーダはといえばなにやらいつも以上に楽しげで、普段では絶対に読まないであろう小説などを本棚から引っ張り出し、ブリッジで悠然と読書などしているではないか。
いい加減素直になって傍に寄って行けばいいものを、彼の姿が確認できる範囲ギリギリのところで様子を窺っているユウナが、なんだか可愛らしくもあり、じれったくもある。だから、リュックの目から見て、今の現状は避けている『らしい』としか言いようがない。
(ダメだよユウナん、アイツ楽しんでるって・・・)
たまに視線が合う度にユウナは頬を膨らませ、ぷい!とそっぽを向いてみるが、その精一杯のご立腹の表現も彼には通じていないらしく、彼女に気がつかれないように手にした本で顔を隠すと、それはもう愉快そうに笑っているではないか。
緩む己の表情を隠す為のアイテムか、とリュックが視線で尋ねると、ティーダは本の影から『ナイショ』のポーズよろしく、人差し指を口元に当てて更に笑み崩れた。その後、とうとう堪えきれなくなったらしいティーダがブリッジを後にすると、リュックは速攻で愛する従兄妹を拘束し、共同居住区まで引っ張ってくると、いきなり本題を突きつけたのだ。
この、どちらかと言えばのんびりとしていて鈍感なところがある彼女は、遠まわしに切り出しても気がついてくれないところがある。
しかも、その話題が『触れられたくない』内容だと看破されれば、必殺の笑顔をもってしてこちらが黙らされてしまうに違いないのだ。そして、今、リュックが凄まじく真偽のほどを確かめたい内容は、きっと彼女が『触れられたくない』話そのもので、それならばいっそのこと直球を投げつけて相手が驚いているうちに事を運んでしまった方が絶対にいい。
「・・・なんでもないっす」
ほら。
そういう無理矢理な笑顔でアイツの言葉遣いを真似する時は、ぜぇっっっったいに『なんでもない』ことはないんだから。
一体何年アナタの傍でその笑顔に胸を痛めてきたと思っているのでしょうか?
それに、気になるのは『ありえないケンカ』の相手のあの笑顔。
しれっと、それはもう、しれっとしているのだ。
ユウナ至上主義者らしからぬあの態度。
まるで『ケンカなどしていませんよ』とでも言っているようなあの笑顔。
それなのに、ブリッジにやってきたユウナの顔は『彼』とは対照的に暗く、『ケンカをした』の言葉があながち嘘でもなかったことをそこでようやく確認した。
だから、聞く。
パインには『2人の問題なんだから、いらぬちょっかいはかけない方がいい』と呆れられたけれど、どうにもこうにも我慢が出来ない。
ユウナが原因なのならば相談に乗るし
アイツが悪いんなら速攻でぶん殴る
バカだって言われても、おかしいって思われても、自分の中で一番はユウナなのだ。もしもアイツに非があったと解った日にはどうしてくれよう、などと考えながら戸惑う色違いの瞳を覗き込むと、小さな、小さな声がぽつり、と床に落ちた。
「・・・香水」
「こおすい?・・・香水って、匂いの?」
リュックの問いかけにユウナはバツが悪そうな顔で頷く。
「なに?アイツもしかして浮気でもしたの?」
またも素晴らしい直球に酷くうろたえた様子のユウナが力いっぱい首を横に振った。
当たり前だ。
それこそ『ありえない』。
あの男がユウナ以外の女性にフラフラする場面を拝めるものなら拝まして欲しいとさえ思うくらいに『ありえない話』なのだから。
「えっと、ね?パインがつけてる香水がいい匂いだって言ったの」
「ユウナんが?」
『うん』と頷くユウナの真意が汲み取れない。
確かにパインからは毎日ほのかにいい香りがする。
リュックもその香りの正体が知りたくて尋ねたら、薔薇の香水を愛用しているのだと言う。
あまり前面に自分を押し出さない彼女らしく、控えめに、控えめにつけられた香水は傍に居て香るこちらも心地よく、同じものが欲しいと銘柄を聞いたら後日『リュックにはコレが似合うよ』と言って爽やかな柑橘系の香水を贈ってくれたのだ。その、香水が今回の『ケンカもどき』と、どう関係があるのだろう?
「それで?」
「それで、えっと、私も香水つけようかなって言ったらね?『似合わないからダメ』って言われて・・・」
ユウナの言葉を根気良く待っていたリュックが呆れかえって物も言えなくなったのは言うまでもなく、どうして目の前に座る従兄妹が絶句しているのか見当もつかない鈍感な大召喚士様はそれでも必死に『酷いでしょう?!』などと力説してくれたのだ。
ユウナの、可愛らしい女心も理解できなくは、ない。
でも、『ダメ』といった彼の気持ちもなんとなくわかるだけにユウナの味方につくことも出来ない。
「・・・ユウナん、あのね・・・」
リュックがため息混じりに何かを言いかけたその瞬間、階下から彼女が愛して止まない陽気な声がそれを遮った。
「ユウナいるー?」
「いるよぉ〜。ほら、ユウナん、顔出しなって!」
リュックはもじもじしているユウナを手すり部分まで強引に引きずり、ぐい、と顔を覗かせる。
「ああ、いたいた。・・・まだ怒ってるッスか?」
「・・・怒ってるもん・・・」
ああ、その少しだけ膨れた頬が可愛いとか思ってるんだよ、アイツは。
ユウナに聞こえないように小さくため息をつきながら階下の青年へ目を向けると、まさに『自分の想像通り』のことを思っているらしい笑顔があって、リュックは思わず吹き出しそうになってしまう。
そんなリュックの視線に気がついたティーダは意地の悪い笑みをちらりと浮かべて見せると、とんでもないことを言い出したのだ。
「そっか、じゃあユウナが許してくれるまでギップルのところにでも行くわ、オレ」
にっこり。
凄まじいまでの『ハニースマイル』。
その軽やかな足取りは今にも居住区を後にしてビーカネルへ行ってしまいそうで。
「ユウナん、早く追いかけ・・・」
「やだやだやだー!!」
リュックが助言するまでもなく、隣に立っていたはずの最愛の従兄妹はあっという間に手すりを乗り越え、小麦色の腕の中へ収まっていたのだった。
「ユウナ、まだ怒ってる?」
頭上から降り注ぐティーダの言葉は笑い声も含まれていて、さも嬉しそうだ。
思わず彼の腕の中へ飛び込んでしまってからずっと、ガッチリと拘束されて身動きすら取れないでいた。
あっさりと抱きかかえられて、幾度も口づけられて、そのままなし崩しに部屋まで『運ばれて』しまったけれど、どうして香水が自分に似合わないと言い切ったのかその理由をまだ聞かせてもらっていないことに気がついて、ユウナは今更と思いながらも『ご立腹』の振りだけは続けていたのだ。「だって・・・」
青い瞳に囚われたらつい笑顔になってしまうから、ずっと視線は落としたまま。
『だって』の言外には理由を説明して欲しいのだ、ということに気がついて欲しくて。
「わかった、わかった。白状します」
ティーダはくすくすと笑いながら、それでもユウナの身体を離すことなくベッドへと腰掛ける。
「別にさ、ユウナが子供っぽいとかそういうことじゃなくてな?」
「・・・うん」
「ユウナは何もつけなくたって、いつもイイ匂いするんだよ。・・・もったいない」
「え?・・・っあん!」
その告白に驚いて顔を上げたユウナの隙をついて、ティーダは白い首筋に舌を這わした。
「ティ・・・ずる、い」
あっという間に白い波間に縫いとめられて、跳ね上がった鼓動と共に頬も熱くなるのを感じながらユウナは小さな抗議の言葉を零す。
「どうして?だってユウナの身体中から甘い匂いがするのに・・・」
『昨日は我慢させてもらったから、手加減しないッスよ?』
ユウナは己の耳元で囁かれたその声に全身の力が抜けてしまい、後はもう必死にティーダにしがみつく事しか出来なかったのだった。
そんな愛しい彼女の身体を抱きしめながら、『香水なんかつけられて、これ以上他の男から注目されてたまるか』などと思っていたことは彼だけの秘密。
この先もケンカなどする気はさらさらないティーダだったけれど、今日のユウナがあまりにも愛らしかったから、たまにはヤキモチを焼いてもらうのもいいかもしれない、などとふとどきなことをチラリと考えながら、ユウナの身体から香る甘い甘い『香水』に溺れるように、愛すべき唇へと自分のそれを重ね微笑んだ。fin