してくれなかったら、がんばれないかもよ?
おまじない?
「ね、早く行かないと遅れちゃう・・・よ?」
少しだけ、なんとなくその場の雰囲気を誤魔化すように笑顔を作っている最愛の女性に、ティーダは悠然とベンチに腰掛けたまま拗ねたような視線を向ける。
「わかってるッスよ」
あと、もう10分もすれば試合開始のホイッスルが鳴るというのに、ティーダはといえば控え室のベンチにかじりついて一向に動こうとしないのだ。
「ワッカさんに怒られちゃうよ?」
多分、プールサイドで待つオーラカのメンバーはエースの登場を今か今かと待っていることだろう。
もうアップする時間すら残っていないが、少しでも早く合流して身体を動かしていた方がいいのではないか、と心配しているユウナのことなどお構いなしといった風情だ。「だってさ、ユウナあいつ相手だったら皆がいても平気なんだもんな・・・」
「・・・ええ?」
『あいつ』が相手だと、自分は何を平気でしただろう?
それ以前に『あいつ』の正体がわからない。
ユウナがティーダの前にしゃがみこみ不思議そうな顔で覗き込むと、なにやら勝手に拗ねている恋人は面白くなさそうにぽつりと呟いた。
「イナミ!」
「・・・え?イナミが、なあに?」
自分の心境をまったく理解してくれていない鈍感で可愛らしい恋人にティーダは小さくため息をつきながら、こんな事で拗ねている自分にも内心呆れつつ言の葉を紡ぐ。
「ユウナさ、オレとキスする時って誰かに見られたら恥ずかしいからとか言うじゃん?なのにさ、さっきなんかオーラカのメンバー勢ぞろってるのに平気でイナミにキスしてた」
さすがのユウナも不貞腐れながら告白されたその内容を理解するまでしばらくの時間を必要とした。
以前からちょこちょことイナミに対する自分の言動にささやかなヤキモチを焼いているふしはあったものの、まさかこの試合直前に『そんなこと』で『そんなこと』と言う困った恋人に、ユウナは訳もなく赤くなる頬を両手で押さえながら慌てて否定する。
「キス・・・・キスって!!あれはキミにするのと全然違うもんっ!もう!」
「ちーがーいーまーせーんー!」
ぷい、と横を向いたその顔が少しだけ幼く見えて可愛いとか思うけど。
今はそんな風に思ってる場合じゃないってわかってるけど。
「ね?試合始まっちゃうよ?ご機嫌なおして、ね?」
「じゃ、ユウナからキス!」
悪戯っぽく笑ったその顔を見て、『最初からそう言うつもりだったでしょ?』と呟くと、ユウナが逃げないようにその両手をがっちり掴んだティーダは嬉しそうに『そんなことないッスよ?』と言うが、甚だ怪しいところだ。
時計の針はもうすでに5分進んでいる。
痺れを切らしたワッカが今にもこちらに向かっているかもしれない。
けれど、目の前の恋人はキスをしなければ到底動いてくれそうにもなくて・・・・。
「う・・・じゃあ、はい!」
ユウナは頬を赤く染めたまま思い切って恋人の唇へ自分のそれを重ねた。
掠めるような、そんなキス。
「・・・これじゃ、ダメ?」
お伺いをたてるように下から見上げると、言うまでもなく不満そうなティーダの青い瞳と視線がぶち当たった。
「あー、もっとちゃんとしてくれないと今日はがんばれないかもー」
「ちゃ、ちゃんとって・・・えと・・・う・・・」
ティーダの言う『ちゃんとしたキス』というのは、やっぱり、『ちゃんと』なわけで、いつワッカが飛び込んでくるかもわからないこの状況下で、そういうキスをするのは非常に躊躇われる。
「し・・・試合、終わってからじゃ、ダメ?」
「だめ。おまじない、おまじない。ユウナがしてくれたらオレ、がんばれそう」
その甘ったるい笑顔に弱いことを知っていて、ここ一番というところで使ってくるのだからタチが悪い事この上ない。
「ほら、ユウナ?口、開けて」
掠れた声で囁かれたら、理性がなんと言おうと身体は自然に言われるがままになる。
ユウナの頬に添えられたティーダの手は熱く、その親指はゆっくりと唇をなぞり歯列を割るように少しだけ差し入れられた。「これから毎回してもらおうかな、おまじない」
恥ずかしさのあまり思わず閉じられた視線の先で、多分嬉しそうに輝いているであろうティーダの笑顔は確認する術もなかったけれど、再び重ねられた唇と引き抜かれた指と入れ違いにやってきた熱い舌の感触に、ユウナは腰が砕けそうになるのを必死に堪えた。
「・・・んぅ・・・は・・・」
「ごちそうさまでしたっ・・・続きは帰ってからな!」
名残惜しげにもう一度だけ口づけたティーダはそれはもう楽しそうに控え室を飛び出して行く。
「・・・もう!えっち!!」
ドアの向こうに消えた愛しい背中にささやかな抗議の言葉を投げたユウナだったけれど、その後の試合でのティーダの大活躍に笑顔で声援を送ったのだった。
・・・ホテルに帰った後、『がんばったご褒美』を要求されたのは言うまでもなかったけれど。
fin